2024年「うるう」問題

小林賢太郎プロデュース公演「KKP」はその名の通り、賢太郎さんが脚本・演出・出演の他、プロデュースも行う演劇公演。 7作目の「ロールシャッハ」以降は「小林賢太郎 演劇作品」と表記されている。

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2024年「うるう」問題。

この物語を愛する全ての人が、多かれ少なかれ考えずにはいられないことではないだろうか。
やるの?やらないの?・・・ってね。

賢太郎さんがパフォーマーを引退した今、ご本人での上演は今後いっさい望めない。となると、このまま「うるう」は 永遠に封印されてしまうのか、はたまた別の誰か(固定ではないとしても)が4年に一度の恒例公演として上演を引き継ぐのか。 どちらのパターンも正直とても怖い。

ミュージカルでも歌舞伎でも、その他の劇団の作品でも、違う役者で再演することは至極一般的に行われている。 歌舞伎やバレエなどはベースが古典で、時々その流れの中に「新作」が差し込まれるような作品継承の世界。 音楽でもクラッシック界などは特に、様々な演奏者がそれぞれの解釈と表現でショパンやベートーベンなどのいにしえの作曲家が残した作品を演奏する。 そうやって様々な演者の手を経ることで、作品は「永遠の命」を持つ。

「うるう」にも永遠であって欲しい。

賢太郎さんの作品は、ラーメンズ、KKP、ポツネン・・・どれもこれもそうなのだけれど、中でも私にとって「うるう」は格別だ。 この愛おしくて素晴らしい物語を「まだ知らない」全ての人に体感して欲しい。 だとすれば、今後も「誰か」によって上演され続けるのが望ましい。


ところがである。

演者が賢太郎さんでないことに、果たして私は耐えられるのだろうか。


誰がどんなに素晴らしい演技をしても、ブラッシュアップされて作品が更に良くなったとしても、 「賢太郎さんではないヨイチがいる森」に私は耐えられないんじゃないだろうか。

だとしたら、このまま封印されてしまった方が私のためにはいいのかもしれない。手元にDVDもCDもあることだし。 それより「うるう」のVRが出ればいいのに〜。たとえゴーグル越しだとしても、もう一度あの森を体感できるのならば・・・と、つい願ってしまう。

とはいえ、この在り方は物凄く勿体無い。その自覚はある。それに 生の舞台で「うるう」を体感できる至福が、2020年を最後に途切れてしまうのはあまりにも惜しい。 作品ファーストなら、誰かに引き継がれるのがベストのようにも思える。なのに 他の誰かが演じたソレが実は最高で、その演者の「うるう」に夢中になってしまったらと思うと、それはそれで物凄く怖い。

ああ、なんてめんどくさいんだ、私ってヤツは。


実を言うとこれは、私が「コントロニカ」と対峙する時に突きつけられる問題でもある。 特に『回廊』は私にとって、絵本やnote上へアップされるショートフィルムなどとは良くも悪くも意味合いが違うからだ。 『回廊』を体感した私が何をどう感じるかは、蓋を開けてみなければわからない。

これまでと違うのは「ステージ上に賢太郎さんがいない」こと。それについて、今はまだ「あり得ない」と言うのが本心だ。 同時に賢太郎さんの今後を全力で応援したいという気持ちも本物で、だからとてもややこしい。 その上「賢太郎さんがいない空間」を自分が受け入れてしまうかもしれない恐怖に怯えてもいる。私は一体何を望んでいるのだろう。 賢太郎さんは「作品そのものが愛されること」こそを望んでいるのだろうけれど。

『回廊』を観た私がどうなってしまうのか、こればかりは 体験してみなければわからない以上、今ここであれこれ思い悩むのは無意味だ。なのに考えずにはいられない不思議。 未知のゾーンへ突入するからだろうか、過去に経験のない種類のドキドキに困惑もしている。
怖さにも似たワクワクで期待度MAXな舞台作品『回廊』。ドキドキドキドキドキドキ・・・。


元々は「あー、面白かった」だから「次の作品も観たい、どんどん観たい」そんな簡単なことだったハズだ。 それが私の中で、なんだか勝手に拗れている。パフォーマーとして舞台に立ち続けるだけが「小林賢太郎」ではない。それもわかっている。 でも今は頭で理解しているだけで、感情は追いついていない。いずれは追いつき追い越すのかもしれないけれど。


私の内側は今、感情がとっ散らかっていて、おそらく過去一番と言っていいくらいに混沌としている。 だとしても、今後発表される小林賢太郎作品を「好き」でも「面白い」でも「よくわからなかった」でも、何かしら 感じたことに対して、自分の感性に常に正直であれ! と思う。頭で考えるのではなく「感じたまま」を大切にしたい。どんな感情を抱いたとしても。

賢太郎さんの過去は間違いなく愛している。それはこれからも変わらない。
これから先のことは都度、今後出会う作品達が決めることになるのだろう。


「うるう」に話を戻そう。

閏年以外でヨイチとマジルにハピバを言うタイミングって、割と難しい。 2/28朝イチで「お誕生日おめでとうー♪」がいいのか、28日が終わるその瞬間を狙った方がいいのか。 実際の2/29生まれの人達はどんなタイミングでお祝いされているのかな。大事なのは気持ちだとは思うけれども。 そして「いい大人が架空の人物のお誕生日を真面目に祝う日常」に我ながらほっこりする。

休日の今日、これからどっぷり「うるう」に浸って過ごそうと思う。 兎にも角にも円盤の存在はただひたすらにありがたい。CDもDVDも感覚を再現させるスイッチのような役割を果たしてくれる。 実際に観たものと映像のアングル、セリフ、動きなどが違うからだろうか。鑑賞していると自然と自分の記憶が各場面を補完していることに気づく。 それがまた面白い。

さあ、森へ出かけるぞー!

「あの森をもう一度」その思いが強すぎて、私のイマジネーションは「うるう」に関してはかなり鍛えられたように思う。 劇場で客席に座る感覚も、私自身が森の木の一本になって彼等を見下ろしている感覚も 思いを馳せれば瑞々しく蘇る。「うるう」を体感したあの日の細胞はもう体のどこにも残っていないハズなのに、こうして記憶が紡がれるって とても不思議で面白い。神秘的でさえある。


こんな風に妄想で賄えるんだったら2024年バージョンもイマジネーションで賄えば良くない? と言われてしまいそうだけど、それは全くもって違うのだ、どうしても。

だから結局『2024年「うるう」問題』に話は戻る。

ループ!!





2023/02/27更新

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