いろんなこと。日々思うこととか思い出とか。
いろいろへ戻る ▶︎
2022年
2022/12/01(木)
2020/12/01(火)のこと
いろいろ
かなり迷ったけど、やっぱり残しておこうと思う。あの日のこと・・・。
カテゴリー:いろいろ
▶︎ KENTARO KOBAYASHI WORKS「小林賢太郎より」のアーカイブ
それは正に晴天の霹靂。
公式サイトのブログ『小林賢太郎より』にアップされたメッセージに、文字どおり、頭の中が真っ白になった。
今目にしたものが信じられずに何度も読み返すけれど、全く意味がわからない。
肩書きから『パフォーマー』をはずしました。
あり得ない。賢太郎さんのキャッチフレーズは『小林賢太郎は劇場にいます』だ。
しかもそれは『パフォーマー小林賢太郎』が『劇場にいます』という意味ではなかったのか?
丁度、頂き物の白ワインを開けた直後だった。取り敢えず飲む。グラスはすぐに空になる。ワインを注ぐ。
また飲む。注ぐ。・・・何度繰り返しただろう。アッという間にボトル1本が空になった。
なのにどうだ、頭は冴え冴えとしている。普段なら酔い潰れているだろう量のアルコールがまるで効いていない。この時点で異常だ。
もう一度メッセージを開いてみる。そこにはさっき読んだとおり「4、5年前から2020年でパフォーマー引退を決めていた」という主旨のことが書いてある。
つまりはこうだ。私がようやく個展や劇場公演に通えるようになった2016年には既に、賢太郎さんのパフォーマー人生は終焉へ向かって走り出していた訳だ。
何かで思いっ切り強く、頭を殴られたような気持ちになった。
賢太郎さんがステージに立たない世界線。
・・・いや、無理!無理!無理!マジ無理だから。
Twitterを開いてみると界隈は既に騒然としていた。『引退』の2文字が画面に踊り、あちこちで悲痛な叫びが上がり続けている。
その日は眠れないまま夜が明けた。
一夜明けてもニュース、Twitter、友人達からのLine、どれもが賢太郎さんのパフォーマー引退の話で持ちきりだった。
ファンにとっては、頭で理解していることと、感情のバランスが全くとれない、耐え難い時間が延々と続くばかり。
私もそうだ。愛するエンターテイナーが舞台を去ることは勿論のこと、ラーメンズの第18回公演が永遠に消滅するのかと思うと耐えられなかった。
なにせ私はラーメンズを生の舞台で観たことがない。賢太郎さんと仁さんが舞台で並んだ「大人たるもの」すらチケットが取れなかった私にとって、それはもう悲願だった。
お願い、賢太郎さん!何年だって待つから「美大じじい」も「ポツネン氏の奇妙で平凡な隠居生活」も、ずっとずっと待たせてよ!
我儘な思いばかりが膨らみ続けた。
生きる理由が無くなるほどの経験は正直、これが初めてだった。
それは「失う」ということの意味が初めてわかった日。賢太郎さんの舞台以上に夢中になれるものなんて私にはないのに、
賢太郎さんが舞台に立つことがない世界に何の意味があるのだろう・・・。
今思うとその在り方は大問題なのだけれど、この時点ではそれにすら気づくことはなかった。
あまりの喪失感に涙も出ない。食べ物も味がしない。夜も眠れない。
にもかかわらず、自分の中に「賢太郎さんの今後の全てを全力で応援したい自分」が同居していることも本当だった。
その相反する感情で、さらに気持ちが追い詰められていく。
ブログでは脚が悪いからと引退理由のひとつも明かしてくれていて、それもとても切なかった。
理想の自分と現実の自分がどんどん乖離していくのは、どんなに辛かっただろう。最後まで常温で楽しんで欲しかったという気持ちも理解できる。
私が同じ立場なら、やっぱり最後の最後まで舞台をおりることは明かしたくない。純粋に作品と出会って欲しいし、純粋に楽しんで欲しい、絶対に。
なのに「いちファン」の立場になると真逆のことを考えてしまう。気持ちを整理する時間が欲しかった、思い残すことがないようにしたかった。
知っていれば無理をしてでも観に行ったのに・・・と。立場が違うと思いも変わる。全員が同時に納得する幕引きなど有り得ないからこそ、やりきれない。
とはいえ、賢太郎さんが自分の発言の影響力を知らないはずがない。どれ程の人が絶望するかを知らないはずがない。
誰よりも舞台を愛しているだろう賢太郎さんが、それでも舞台をおりる決断をしなければならなかった「現実」がそこにはあったのだ。
私にとっては突然の出来事だったけれど、賢太郎さん自身はその現実と、何年もの長い時間ずっと向き合い続けてきた。
「マジ無理だから」と思った自分が少し嫌になった。
私にとって一番の願いって何だろう。
自分に問い直してみた。
本当に「美大じじい」と「ポツネン氏の奇妙で平凡な隠居生活」を劇場で観ることが、私の譲れない望みなのだろうか。
自分が理想とする最高のパフォーマンスだけを観客へ届けたいと願う真の舞台人を、無理やり舞台に縛りつけることが私の望みなのだろうか。
ちょっと違うな、と思った。
私は何よりもまず、賢太郎さんが幸せでいてくれることが一番嬉しい。
今やりたいことを思う存分やりきって欲しい。元気で、日々を楽しみながら、充実した時間を過ごして欲しい。
それが大前提にあるからこそ私は、ワクワクしながら次回作を待ち続けられるのだ。
そしてパフォーマー引退は、賢太郎さんの新しい門出でもあることを忘れてはいけないとも思った。
どうか、今後起きる全ての事が賢太郎さんの追い風になりますように。
これは勿論本心だけど、だからと言って乗り越えられた訳ではない。心の傷口はパックリ開いたまま血が吹き出している。
ある意味、大失恋のようなものだから当たり前だ。大抵のことは時間が解決してくれると言うけれど、いつかパフォーマーではない賢太郎さんが当たり前になる日が来るのだろうか。
あれからもう2年が過ぎた。
いまだに夢なら覚めて欲しい。でもこれは現実だ。受け入れる他はない。
かと言って『パフォーマー小林賢太郎』を今後の人生と切り離すことは、私には無理だ。だから無理はしないことにした。
失ったものにこだわり続けるのなら、自分のために、前向きにこだわるべきだ。
この2年間で引退後の賢太郎さんから受け取った様々な言葉や作品は、私にとって、既になくてはならないかけがえのない存在になっている。
・・・なので、どちらも楽しもうと決めた。
私は『パフォーマー小林賢太郎』が大好きだ。これから先もそれが変わることはないだろう。だからこのサイトを立ち上げることにした。
私というフィルターを通すことにはなるけれど、これからもずっと、パフォーミングアーティストな賢太郎さんについても語り続けたい。
ほぼ「日記」と「感想」と「思い出ばなし」で占められる極めて個人的なこのブログサイトは、広告を入れたくなかったので自分でサーバーをレンタルした。
だからレンタル料が支払える、私が存命の間にしか存在しないことになる。わりと儚い。でも、それもまた良し。
今でもよく思い出す。
パフォーマー引退後、エレ片ラジオでやついさんが『またいつでも戻って来たらいいよ』と、驚くほど軽く、そして明るく呼びかけていた。
そのあたたかさに、笑いながら泣いた。仁さんも賢太郎さんの様子をこんな風に伝えてくれた。
『晴れ晴れした、爽やかな顔してたよ』
それだけで、もう十分だ。
賢太郎さんは次のステージへ進み、私にはまだ見えもしないずーっと先の「明日」を見据えている。
2022/12/01 いろいろへ戻る ▶︎