架空の劇場「コントロニカ」について、日々思うこととか感想とか。
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2023年
2023/04/13(木)
『 回 廊 』初日観劇!!
note
4/10(月)18:00開演 神奈川芸術劇場KAAT大スタジオ
カテゴリー:小説・エッセイ・漫画
楽しかった〜!!
面白かった〜!!
笑って笑って笑い倒した90分。
めっちゃ涙出た。こんなに笑ったのっていつぶりだろう。
そして笑いながら、何とも言えない気持ちにもなった。
本来なら今も続いていたであろう「カジャラ」公演のことが常に頭をよぎっていたからだ。
両者はその「在り方」が同じだった。賢太郎さんがそこに居ないということを除けば。
賢太郎さんが何年もかけて準備をし、熟考を重ね、たどり着いた「カジャラ」という場所。
想定外のコロナ禍さえなければ、最終地点になっていたと思われる「コントを続けていくための場所」。
その「カジャラ」から「コントロニカ」へとバトンが渡された瞬間に、観客として立ち会えたことが何よりも感慨深かった。
今回の横浜行きは発表と同時に即決。後のことはチケットが取れてから考えることにして争奪戦に臨んだ。
狭き門だったこともあり、当選した時は言葉通り天にも登るような心地だった。
配信公演こそが本番で(賢太郎さんからのご挨拶文には感激して泣いた)、生の舞台:KAAT公演はその下準備の一環
という位置付けではあるけれど、私が配信だけでなく生の舞台を何としても観たいと切望したのには、いくつか理由がある。
ひとつは新しいことを始めた賢太郎さんと関係各位に、客席から直接おめでとうの拍手を送りたかったから。
またひとつは個人的な事情により、物理的にこの先しばらく自由が効かなくなる可能性があるから。
もうひとつは、ずっと心の中で燻っているわだかまりと決別したかったから。
今思うと、この「わだかまり」が一番の要因だったのかもしれない。
『回廊』公演は間違いなく面白いハズだ、という絶対の信頼感はあったけれど、
生の舞台に執着したのは「私自身がどうなってしまうのかを知りたかったから」そんな気がしている。
『うるう』以降、待ち続けた賢太郎さんの新作舞台。
待ち焦がれつつも、ここに来るまでには実に様々な葛藤があり、はかりしれない怖さもあった。
私は賢太郎さんの過去はこれ以上ないくらいに愛しているし、これからもそれは変わらない。
でも、賢太郎さんがいない小林賢太郎ワールドを、同じように好きになるのかな?夢中で追いかけ続けるのかな?
どんなに考えたところで答えなんか出るはずもない。
新作公演の情報を前に期待とワクワクでいっぱいのハズなのに「パフォーマー小林賢太郎」を知るが故に感じる不安。
本当に欲しいモノはもう二度と手に入らないのだと思い知るだけかもしれない怖さ。
逆にものすごく気に入ってしまったとしたら・・・それはそれでとても怖い。『回廊』を観た私は
いったいどんな感情になってしまうのだろう。
最初からないのと、手にしていたものを失うのとではゼロの意味が全く違う。
マジルとさよならした時のヨイチの絶望にシンパシーを感じずにはいられない日々。
何度でも叫ぼう。
何よりも誰よりも「パフォーマー小林賢太郎」を愛してるぞーーーーーー!!!
賢太郎さんのこの「人を惹きつける力」って一体何?
ますますヨイチにシンパシーを感じてしまう。
もっとシンプルに「観たければ観る」「面白ければ笑う」になれたら楽になれるだろうに。
初日、賢太郎さんらしさ全開の『回廊』に疲れ切るほど笑い、終演後は友人と今観たばかりの舞台について語り合った。
そしてひとりになったとき、それまで押さえつけていた感情が一気に吹き出すのを止められなかった。
自分がこれまでとは確実に「違う世界」にいることを思い知った夜、泣けて泣けてどうしようもなかった。
「賢太郎さんが出ないって、こういうことなんだな」
この圧倒的な喪失感を丸ごと受け止めない限り、私は先へは進めないのだろう。多分・・・。
そのくせ「面白かった」「楽しかった」と感じた自分にホッとしていた。
舞台作品『回廊』は、私が勝手にイメージしていたモノとはかなり方向性が違っていた。
配信チケットの絵や、絵本『カキワリの劇場』の空気感に近い、ポツ日々的で演劇寄りな世界を思い描いていた私。
想像とまるっきり違ったことがまた面白かった。次はどんな世界が飛び出すのだろう。
それ以前に私が知る『回廊』が配信までにどんな作品へと育っているのか、考えるだけでワクワクする。
今後の特典映像には「ネタバレ上等」な内容のモノもあるようだし、お楽しみはまだまだ続く。
架空の劇場「コントロニカ」、これからもますます目が離せない。
追伸:
終演後、私にとって「そば」が特別な存在になっていたことを、ここに告白いたします。
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