動画でご案内いたします。のこと


架空の劇場「コントロニカ」について、日々思うこととか感想とか。


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2023年

2023/03/11(土)


noteコントロニカで、なんとなんと!ショートムービーではない「YouTube動画」が配信された。 今のところは以下の2本。『回廊』の視聴方法のご案内と、コントロニカ・グッズのご案内の動画。

楽しい!楽しい!楽しい〜! 何この企画、最高〜!!
しかも思いもよらない出演者まで・・・


配信コント公演 『 回 廊 』 の視聴方法を、動画でご案内いたします。▶︎
「シアター・コントロニカ」 のグッズを、動画でご案内いたします。▶︎


クロコ郎ーーーーーーーーーーーーっ!!!


まさかまさかのご本人登場!!
と言っても、世を忍ぶ『クロコ郎』の姿で・・・。


いやー、嬉しかったぁ〜♪
その声がボイスチェンジされていようが、クロコ郎を操る本体がガチの黒子姿であろうが「賢太郎さんがお元気でいらっしゃる」様子がまず一番に嬉しかった。 そしてあの手この手で「楽しませよう」としてくれていることが更に嬉しかった。賢太郎さんご自身も楽しかったんじゃないのかな。

黒子役にもパペットを操る人にも憧れを持つ私は、シチュエーションそのものにもかなりワクワクしたし、 人形をセリフ通りに動かすって実は難しいんだよねって思いつつ動画を楽しんだ。「クロコ郎を操る自分」を想像しながら人形の扱いを見ると更に楽しい。 練習はどのくらいされたのかしら? 賢太郎さんレベルになるとぶっつけで操作できちゃうのかしら? クロコ郎は賢太郎さんのお手製? 体重は? 動画を撮る間、ずっと腕をあげているのはしんどいのでは?・・・などなど、裏の裏にも興味津々。 南さんと球根ちゃんのことを思い出したりもした。


そしてカイグリに度々登場していた黒子ネコがここにつながるのか!というのもなかなかに楽しかった。 サブキャラにしては登場回数多いなと思っていたら、まさかまさかの・・・。
賢太郎さんは一体いつ頃から『クロコ郎』を自身の代弁者として世に出そうと考えていたのだろう。 自画像(なりたいグレープフルーツ大のまるいやつ)か「本さん」が代わりをつとめるものだとばかり思っていたので『クロコ郎』に白羽の矢が当たったことに正直驚いた。

しかもその名前の強さたるや!ネーミングセンスにも強烈にツボった。 クロコ猫とか黒にゃんとかではなく『クロコ郎』だからこそイイ。このいつまでも「耳に引っかかって残る」感じがクセになる。 クロコ郎の「郎」は、賢太郎の「郎」とも受け取れるのがまたイイよね。

ハナウサカイグリ vol.72「クロコ郎」▶︎


可愛いぞ!クロコ郎!!

お口の中と肉球がお揃いのピンク色でとってもキュート。 実はね、初めて見た瞬間はどういう訳か違和感を感じたの。でもわかっちゃった。それはつぶらな緑のお目々に少女漫画みたいな星が入ってるからだったんだね。 小林賢太郎作品では珍しいタイプ・・・っていうか、カイグリでの君はおんなじ三白眼でもしっかり塗りつぶされた黒目だもんね。 ・・・ってか、球根ちゃんのお目々にもバッチリ星入ってたね。ハナウサちゃんは思いっきり黒目なのにね。 モノクロのイラストを見て青い瞳の白猫をイメージしてたから、いい意味で想像を裏切られたよ。クリーム色も素敵だね。 衣装はモノクロの時のままスクリーントーン色なんだね。トートバックにすっぽりおさまった君のあまりの愛らしさにキュン♪

ああ、連れて帰りたい。

その「トートバックにすっぽりおさまったクロコ郎」が「落ち着くわー」と呟いた時には、KKTV4の お題コント「畳」でのセリフがオーバーラップ。思いっきり賢太郎さんを感じてしまった。
お題コントはトリック的な部分に目が行きがちだけど、日本人がテーマの「畳」は、 純粋に「コントとして」「役者として」の賢太郎さんの素晴らしさ満載なところが私のツボ。 グッズ紹介動画を見た後どうしても見たくなって、お題コント「畳」を鑑賞。やっぱり面白い。 ドキュメンタリーで作品を作るプロセスを、ささっとイラストを描きながら説明してくれるところなんて、たまらなく好き。


話を戻そう。


noteコントロニカにアップされた2本の動画はいずれも「小林賢太郎風味」満載。語り口も鼻濁音も細かなクセまでもが惜しげもなくアップされている。 賢太郎さんならその「らしさ」を抑えて別人格を演じることもできるのに「新しいキャラ=作品」として、らしさを余すところなくそのまま投下してくれたこともとても嬉しい。 声を加工してもなお「ご本人のそれ」とわかることがむしろ狙いで、ファンサービスのひとつなのだろうなと感じた。 でなければ、黒子もクロコ郎も別の誰かに任せただろうし、黒子もクロコ郎も登場しない別の手段を使ったのでは?と思うからだ。

正直なことを言えば、もう二度とご本人の姿を拝むことはできないと思っていた。声に至っては諦めの境地だったので、 このサプライズには感謝しかない。しかもスゴく楽しそうなのがとても嬉しい。



賢太郎さんがパフォーマーを引退して以降、一ファンとして自分がどう在りたいのかをよく考える。 なぜなら頭では「作品」と「作者」や「演者」はそれぞれ切り分けて考えるべきだと思っているのに、どうしてもそこに「感情」が割り込んでくるからだ。

私の場合は「人としての賢太郎さん自身が好き」と「小林賢太郎作品が好き」は切り離せない。私が知っているのは賢太郎さんの活動のほんの一部でしかないけれど、 それでも知り得る全てをひっくるめて「好き」が成り立っているように思う。「作品」と「本人」どちらか片方だけなんて 絶対に永遠に選べない。どちらも必要だからこそ、どちらとも大切にしたい。


実は今回の2本の動画がアップされた後に、SNSに検証と称された加工動画がいくつか流れてきたことが個人的にはやるせなかった。 あの夏の日の理不尽が脳裏をよぎり、心に冷たいものが走った。

クロコ郎の声をボイスチェンジャーで加工し「クロコ郎=小林賢太郎」と謳うそれらの加工動画は、他人の作品を加工している時点で違法。 どこにも出さずに個人で楽しむ分には許容範囲だろうけど、SNSでの拡散は確実にアウト。 公式動画のリンクをそのまま貼るか埋め込む、あるいは特別に公式の許可がある場合などは掲載も拡散もOK。 但し実際には、有り無しの線引きは個別に異なるなど曖昧な部分もある。加工動画をアップした人達はOKパターンと混同してしまったのかもしれない。

だとしてもだ。そもそも法律的な観点とは別の根本的なこととして、なぜ 小林賢太郎としてではなく「クロコ郎」として動画を発表したのかに思いを馳せて欲しい。

憶測にはなるけど、パフォーマーを引退していなかったとしても「クロコ郎」は「クロコ郎」としてこの形で発表したのでは?と私は受け止めている。 普通に告知をするだけでも充分成立するけれど、どうせなら見る人を楽しませたいと新しい世界を生み出し届けてくれたんじゃないのかな。

それは「クロコ郎」が当たり前に暮らす日常がある世界線。なんだかセサミストリートみたい。

今回の加工動画騒動が要因でクロコ郎の動画配信がなくなるのでは?と危惧する声も上がっており、もっともなことだと思う。 私も賢太郎さんに関しては、もうこれ以上何も失いたくはない。


賢太郎さんが何年も悩み抜いて決断した「これから」を応援したい気持ちと、愛してやまない「パフォーマー小林賢太郎」にはもう会えないという 絶望的な喪失感がせめぎ合う日々の中で、多くのファンが嫌という程思い知ったのではないか。 その作品を追い求めるのと同様に、心が賢太郎さん本人を必要としていることを。 パフォーマー引退を頭では理解し受け入れてはいても、感情が追いついていない人が今はまだ多いようにも感じている。

今回のSNSでの一連の出来事は、そんな「渇望」の表れなのではないだろうか。 加工動画をアップした人達がガチのファンのように見受けられるところからも、ただの興味本位な行為では多分ない。 皆んな「会いたい」し「感じたい」のだ、賢太郎さんその人自身を。


改めて「小林賢太郎」は愛され続けているんだなと感じた。
でもだからと言って何でも許される訳ではない。

同じものへの受け止め方は千差万別。作品そのものよりも作品に潜む「賢太郎さん探し」がメインになってしまう人もいるだろうし、 それはそれでアリだと思う。但し、受け取った作品であれ、その他の「何か」であれ、それをどう扱うかは私達に委ねられている。 これはある種のコミュニケーションであり、双方の信頼関係の上に成り立つとも言える。


「私は一ファンとしてどう在りたいのか」自問自答はこれからも続く。





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